社会人になってからバスケの練習量はかなり減りましたが、とある会社の実業団チームに誘って頂き、休日には公式戦にも出場していました。
また、東京の代々木公園にあるナイキ社製の屋外バスケコートで行われるストリートバスケの大会や在日米軍基地で開催される大会にも出場していました。
このストリートや基地でのバスケが楽しかったです。
これまでと違った形のバスケがきっかけで普通であれば出会わない様な人と出会ったり、行かない場所に行くことで得る刺激を楽しんでいました。
その調子で仕事以外ではバスケばかりしていました。
しかし、その後に起こる東日本大震災による社会情勢の変化や結婚したことが自分の心境に変化を生みました。
世帯主になることで将来の生活に対する現実的な思考が芽生えてきたのです。
家庭を持った自分の姿、会社での年齢に応じたキャリアの歩み方、その過程での処遇など、
人事という職業だからこそ見える情報もあったので尚更です。
その後の過程を想像したときに、バスケに時間を割くことに意味を見出せなくなり、バスケからは遠ざかりました。
それからは仕事に本腰が入る様になりました。
様々な業務をこなす中で印象的であったのは、人材採用担当を始めたことでした。
ここで実績を残して仕事に弾みをつけることになります。
しかし、それも完全に自分の実力でというわけではなく、以下に記載することが色々と重なっており、とにかく運が良かったとしか言いようがないです。
最初に自分が力を入れたのは新卒採用ポータルサイトのWEB運用の補強です。
当時の新卒採用サイトは、その機能が未成熟の黎明期でした。
それまでの新卒採用サイトというのは、WEBといえども紙媒体の求人募集広告がパソコンに映っただけの様なものであり、
コストをかけてグレードの高いプランを使える超大企業だけが閲覧数を集める状態でした。
自分が採用を担当する年になってから、WEB上で企業から学生にアプローチするDM機能や情報更新機能が充実し始めました。
それにより、知名度の高くない企業であっても情報更新機能やDM機能をしっかり活用して登録学生にアプローチすれば、閲覧数を増やすチャンスが到来したタイミングでした。
在職していた会社では、それまでは業界最大手の会社が運営する学生の登録数も業界最多のメジャーな新卒採用サイト
を活用していたのですが、これを
業界後進の会社が運営する学生の登録数も業界最少のマイナーな新卒採用サイト
に切り替えることを提案しました。
その理由は2つありました。
1つ目は、競争倍率が低いことです。
ここで言う競争倍率とは学生からの自社ページの閲覧数に関するものです。
それまで使っていたメジャーな新卒採用サイトでは、登録学生数は最多でしたが登録企業も最多でした。
そのため、学生に閲覧されるための倍率が高く、閲覧数が低くなるという現象が起きていました。
マイナーなサイトはというと、登録学生数は少ないものの登録企業の比率は更に少なく、学生からの閲覧倍率はメジャーサイトの1/3程度でした。
しかも、掲載コスト自体もメジャーサイトの1/2程度。
その削減した掲載コストを財源に、DM機能はじめとするオプション機能を購入し、競合の少ない中で登録学生に積極的なアプローチをしようと提案しましたが、この案は、
・登録学生数の少ない媒体であること
・取締役の年代層には聞き慣れない後進企業運営ということ
がネックとなり、一度は会議で却下されることになってしまいます。
しかし、2つ目の理由で登場する人物のお陰で、最終的に会議を通過します。
そして、2つ目の理由が何より幸運だったわけなのですが、
それは、人との出会い です。
マイナーな新卒採用サイトの営業担当の方が、バイタイリティと能力が高く超優秀であり、固定観念に囚われない開拓精神旺盛な方でした。
常にその新卒採用サイト運営会社の営業成績トップを走っていた方です。
ここで具体的なことを言うのは控えておきますが、その営業担当の方が会議を通すための手助けをしてくれました。
言える内容としては、登録学生の内訳データを細かく示してくれたことです。
登録学生は少ないもののメーカーである会社がその年に採用したかったのは、ほとんどが電気・機械系の学科の理系学生でした。
その電気・機械系の理系学生の登録数が多いというデータがマイナーな新卒採用サイト契約の魅力付けになりました。
会議は無事に通りその採用サイトを活用することになりました。
その超優秀な営業さんはプランを売るだけでなく、採用活動の実行段階でも色々とやってくれました。
学生が魅力を感じるDMの文面案や運用方法の提案、採用業務運営のノウハウの提案、ときには学生向けの会社説明会で流行最先端スタイルの説明まで実演してくれました。
人聞きは悪い言い方かもしれませんが、私は裏で操られていた状態でした。
忙しい方でしたが、信じられないスピード・ボリューム・マルチタスクで創造性に富んだ仕事をされており、本当に色々と勉強になりました。
時代の後押しや、人との出会いの幸運に恵まれ、新卒・中途共に過去最多数、且つこれまで採用実績の無い学校からの応募者を集めることが出来ました。
その実績を認められ、翌年からの採用担当のリーダーを任されることになりました。
実績を残すことで仕事の楽しみを覚えて、ますます仕事に集中する様になりました。
採用担当としての仕事の信念は、
学生が採用選考を通して自分と向き合い成長するきっかけを提供すること
でした。
会社の採用試験は、基本的に6次選考式
※書類選考⇒採用担当面接⇒人事課長面接⇒配属可能性のある部門長面接⇒部長面接⇒役員面接 でした。
面接の前にフォローの連絡や面談を入れることで、
・強みや課題の発掘
・学生に通過した選考のフィードバック
・次選考の対策
をしていました。(それも、元はと言えば営業担当の方の提案なのですが)
そういった取り組みの甲斐なのか、採用試験では不採用になった学生からも、
” この会社の採用試験に関わって成長出来たおかげで、その後に他の会社に内定した ”
とお礼の連絡をもらうときがあり、本当に嬉しかったことを覚えています。
ちなみに、採用の仕事で一番大変だったことは、採用活動を実行する段階ではなく、採用人員数を計画する段階でした。
人員が欲しい各部署に対して、会社の人件費に対する考え方は厳しいです。
ここを調整して採用人員数の計画を検討する段階は、正に会社と各部署との板挟み状態です。
当時の私にとって、この板挟みのプレッシャーは200kg以上のバーベルを担いだスクワットのプレッシャーなど比ではない精神的負荷レベルの高さでした。
目先の生産のためだけに不足している人員数の補充をすればいいわけではなく、各部署の将来に渡る業務・人員配置の展望や課題(将来やるべき事や現在出来ていないことなど)もヒアリングし、それに合理性・緊急性があれば会議を通過させるべく上手く主張する必要がありました。
中には難しい人員補充の要望もあり、それを断念していただくことが必要な場合もありました。
各部署の工程がどうなっているのか理解しなければ交渉が出来ないため、色々と勉強する必要もありました。
他従業員からは見えないところでハードな交渉が続く時期であり、将来的な人員異動などの情報も含む話題のため口外は厳禁なので誰に相談することも出来ません。
採用人員数の計画に関わる打ち合わせや会議などの日は、正直いって憂鬱な日もありました。
通勤の道中で、
「宇宙の出来事の中では、この出来事なんでちっぽけ過ぎる存在だ。そう、今日は生きるだけでいい。」
なんて考えていたことを思い出します。
そして、出社してメールを開くと、各部署からの熱いメッセージ(と言っておく)がたくさん届いており、それをチェックすることから朝が始まります。
憂鬱感やプレッシャーを感じることはありましたが、各部署の要望を何とか通したいという気持ちを常に持っていました。
だからこそ各部署の業務に対して勉強した上で、多角的視点で要望の背景について繰り返し対話しました。
何事もこういった段取りが重要であり、大変だと思います。
トレーニングでもコンディション作りの段階やセッションの準備・計画が非常に重要であり、トレーナーの腕と気持ちの見せ所だと考えています。
この仕事が今のトレーニング指導や運営の考え方の大きなヒントになっています。
何よりも自分を信じて仕事を任せて頂いた上司には本当に感謝しています。
また、ときには反抗的な発言をしてしまったことを猛省しています。
今になり助言頂いたことの本質が理解出来る様になりました。
運動の方はというと、神奈川県の湘南地区に住んでいたので、プライベートでは事務仕事と真逆なことで頭を切り替えようとサーフィンをしていました。
それに加えて、会社の付き合いでゴルフをしていました。
トレーニングは、スクワット・ベンチプレス・ミリタリープレス・懸垂を休日の朝に気が向いたら疲れないくらい行っていました。(1か月ジムに行かないことも結構あるくらい)
それから27歳(2013年)のときに娘が産まれ、サーフィンはじめ運動する時間はかなり少なくなっていきました。
その影響なのか、体重は5キロくらい増えたにも関わらず、自分を細マッチョだと思っていました。
とある日、買い物に出かけて娘と撮った写真に、少しだけこれまで感じたことのない違和感を感じました。
「ん?腹、腹が出ている・・でも、写真映りが悪かっただけだよな・・ランチでハンバーガーとフライドポテトを食べ過ぎたせいで塩分を摂り過ぎて浮腫んだんだろう。」
と思っていたのですが、
正月に実家に帰省した際、兄からお腹が出ていることを指摘されました。
ここで現実を受け入れました。
それは太るでしょう。運動量が減って体重が増えたとすれば、それは体脂肪増加による可能性が高いに決まっています。
全く傷つく事はなかったのですが、ずっと瘦せ型で体脂肪が増えた経験のない自分には衝撃的出来事でした。
人事という管理系の部署に所属して人前に出る仕事もしているのだから、しっかり自己管理しようと思いました。
そこで、減量効率も良い筋力トレーニングをメインの運動にしようと隣街のゴールドジムに通うことにしました。
コンセプトとしては、たまに行くサーフィンのために動けて、スーツが似合う身体でした。
筋肉を大きくした方が出力を高めるには効率的なのですが、体重が重くなると、
”お小遣い制の中で”買ったばかりのサーフボード
の海での浮力が落ちてパフォーマンスが落ちてしまうので、あまり筋肉は大きくせず体脂肪を落とし、神経系統のトレーニングで可能な限り出力を高めようと考えていました。
種目としては、フリーウェイトトレーニングで筋出力を大きくし、
・クイックリフト
・ランニングマシンで傾斜有のインターバル走(傾斜12%速度20kmで1分ランから1分休憩を4セット)
・ジャンプトレーニング
で瞬発力を高める内容中心に行っていました。
筋肉を大きくするボディメイクという感じではなく、動いて体脂肪を落として、BMI21くらいの細マッチョになりたかったのです。
そこから3か月くらい取り組むと周囲に気づかれるほどに絞れてきました。
このときで、体重72~73キロくらい(BMI22)だったと記憶しています。
今の基準で言うと、普通に痩せ型の体型だと思います。
しかし、ダイエットには成功したものの、頭の片隅には、その成果を試す機会が欲しいという考えがありました。
その成果を試す機会というのが、どんなものかも想像すら出来ていませんでしたが。
これまで取り組んできたものでも、
バスケでは試合に向けて、ゴルフやサーフィンでも会社やショップのコンペに向けて、
締め切りのある目標へ向かい、計画的に取り組んで、その成果(明確な基準に基づいた勝敗や点数)を確認出来ることもモチベーションと楽しみの一つになっていたからです。
本格的な夏も目前の6月末のある日、株主総会や次年度新卒採用の仕事も終わり、残業が多い日々から解放され、仕事が落ち着いていたのでフレックスタイムで退社しました。
帰宅し、ジムに行く前にゆっくりしようとソファに寄りかかって昼過ぎのニュースを見ていました。
そのニュースのとある特集に釘付けになりました。
デニムが似合うかっこいい身体を競うというコンセプトでのボディメイクコンテスト
が開催されたという内容でした。
上半身は裸で、ボトムはデニムで、ファッションモデルの様でした。
ボディコンテストに対するイメージを良い意味で破壊されました。
出場している方の年代層も30代前後の層が中心であり、こんなカッコいい30代になりたいと思いました。
その映像を見た瞬間、大袈裟ですが、身体に電流が走ったかのような感覚を得ました。
「これだ~!!!これに出よう。」
明確な目標ができた瞬間でした。
そして、それが周囲からは転落したと思われる人生を送るきっかけでもありました。
ストレングストレーナーになるまで-電線メーカー会社員時代編➁― に続く